Hanoi Walk 3rd Tràng Bom – Định Quán

12/10/2014

前回まで

2014年10月10日(金)

ベトナム安宿事情

第1回第2回で50kmほど歩いたことになる。50kmといえばちょっとした距離で、東京から東海道なら藤沢ぐらいまで来ている。問題はこれがバスでしか移動できないことで、東京藤沢間を路線バスで移動すればそれだけで一仕事になってしまうが、それはベトナムでも同じことだ。第2回では帰りの移動時間がけっこうかかった。
なので、2014年10月10日(金)の晩に、仕事を終えた後にバスでビエンホアまで出て、前泊することにする。

この後も宿泊はこの旅行の重要なファクターとなってくるので、ここで説明をしておく。
ベトナムでは宿泊施設は2つある。

名称 漢字表記 英語表記 解説
Nhà nghỉ 休家 motel 日本で言う「旅館」
Khach san 客桟 hotel  日本で言う「ホテル」

ニャーギーが安めで、カクサンが高め。でもその区別は曖昧だし、外形的な基準があるようにも見えない。値段が違うといってもそれほど大きく離れているわけでもない。このあたり、日本の「旅館」と「ホテル」のニュアンスの違いに似ている。

値段はもちろん千差万別だけど、Nhà nghỉが200k VND(約1000円)ぐらいで、Khach sanで300k VND(約1500円)ぐらい。
これはベトナム国内の物価でいうと、高くも安くもないというあたり。体感的な物価差は4〜5倍なので、Nhà nghỉが素泊まり4000円〜5000円ぐらいとなる。日本の地方都市の安いビジネスホテルだとこれぐらいだろうか。「建物はボロいけど、シーツとかは清潔だし、泊まるだけなら問題ないか」という気持ちがするあたりは、まさに日本の安いビジネスホテルと同じ。

ただ、日本のそのクラスのビジネスホテルとの違いは、どこにでもあること。宿泊施設ってこんなに必要なのだろうかと訝しむほどどこにでもある。
今回のビエンホアにしても、とりあえずバスターミナルまで行って、そのあたりをぐるっと見渡して、すぐに見つけて宿泊。ビエンホアは東京で言えば横浜や立川というあたりだが、横浜や立川で駅に到着してすぐに安宿を見つけるのは至難の業だと思う。

飛び込み宿泊実験

と、このように偉そうに書いているが、2014年10月当時はローカルの宿に宿泊したことなどほとんどなかった。私は旅行者ではなく居住者だから、とうぜん市内に自宅がある。だから市内でわざわざホテルに泊まる機会がない。国内旅行などのときも、海外の見知らぬ街で泊まるところが見つからないというのはかなり怖い事態なので、ネットで予約は取っていた。
しかしそんなやり方では今後の自由が効かない。田舎でも飛び込みで泊まるところぐらい見つけられなくてはならない。勘や見当を鍛えなくちゃいけない。
なので、まだホーチミンから近く、2度(第1回と第2回)来たことがあり、どうにもならなくなって旅行中止になっても大した被害が出ない、ということで、このビエンホアを飛び込み宿泊実験と位置づけていた。

なので、ほんとうは、おっかなびっくりである。
「バスターミナルについてその辺りをぐるっと見渡してすぐに宿泊」というのは嘘ではないけれども真実とはいい難い記述だ。ほんとうは、いくつも候補を見つけて、本当にこれでいいか、これで大丈夫か、いや大丈夫だ勇気を出せ、だけどなあ・・・・と迷いに迷いを重ねたあげくに、えい、ままよ!と飛び込んだものだった。

というのも、このNhà nghỉなのだけど、耳学問で情報を集めてもまるでバラバラなのだ。
どこにでもあることは分かる。ホーチミン市内にもたくさんある。宿泊施設であることも分かる。特にホーチミン市内では値段を外に掲示しているところが多いので、そういう不安もない。だけれども、用途として、ある人はラブホテルだという。ある人は旅館だという。ある人は売春施設だという。
宿泊施設というものは必然的にそれらの要素を併せ持つし、実際のところ明白な区切りを入れることは難しいのかもしれない。「見る人が見れば分かるが、分からない人が見たら全く分からない」というのは、こういうものはそうなる。そうなることの仕組みに日本もベトナムも違いはなかろう。
そして基本的に安宿なので、海外旅行としてベトナムに来た人は宿泊候補にもしないし、ベトナム国内に居住している日本人はわざわざ泊まりはしない。ベトナム人にとってみればわざわざ情報を集めるようなことではない。だから情報がない。

おっかなびっくり入ってみる。フロントというほどのものはなく、カウンターにおばちゃんがいて、身分証明書(パスポートまたは居住許可証)と引き換えに部屋の鍵をくれる。それだけである。後でこのおばちゃんがノートに身分証明書の情報を書き写すので、チェックインは驚くほど簡便迅速だ。公安的な意味からも宿泊代金踏み倒し防止という意味からも効率的な仕組みだ。

部屋に入ると、やけにゴージャスな内装に、清潔なシーツのダブルベッド。空調。大型のテレビ。汚い安宿を覚悟してきたが、逆方向に裏切られた。こんなものがどこにでもあって、一泊1000円とは驚くべきことだ。この旅行の前途に希望が見えてきたというものである

結論を先回りしていう。
この徒歩旅行を通じて、数多くのNhà nghỉに泊まった。多分今の私は日本一Nhà nghỉに詳しい男だろう。それでいうと、宿泊施設かラブホテルか売春施設かというのは、全部正しい。普通に宿泊できるし、そのレベルも高い。だけど、単なる安宿というには件数が多すぎるし内装が良すぎる。本来の用途は、やはりラブホテルであろう。24時間営業で時間貸しをしている。ベトナムの一般家屋はあまり個室という概念が普及していない。そういうことであればそういうものも必要だろうし、そういうものがあれば売春で使う場合も出てくる。
他の人がどのように使っているのであれ、私としては便利なので助かる。

この件に関してはこちらの記事もご覧あれ。

2014/10/11(土)

海か山か

早起きして、宿をチェックアウトする。カウンターの後ろ側にマットレスを出しておばちゃんが寝ていたので、揺り動かして起こして鍵を返し金を払い居住許可証を返してもらう。

ビエンホアバスターミナルからドンナイ省市バス16系統に1時間ほど乗り、前回終点のTràng Bomにくる。歩き始めた段階で7時ぐらい。朝から歩くのはすばらしい。前泊の効果は大だ。

Tràng Bomの近くの工業団地の出勤風景

このあたり一帯は工業団地が多い。工員さんの出勤時間だ。
製造業に勤務する日本人にとっては珍しくもなんともない風景だろうけど、私の仕事はそちらではないので、郊外の朝の出勤風景は珍しい。違う社会の違う生活スタイルの中にいて、新鮮な高揚感を感じる。

そうなのだけど、それは最初だけだ。
しばらくたってしまうと、工業団地の中を縫うようにして走る産業道路である。日が上がると暑くなる。もとより歩くなんてことを考えてもいない道路の脇を、水たまりや工事現場やゴミだらけの草むらを縫うようにして、傍を通り過ぎるトラックの排ガスを、汗だくの全身に浴びることになる。
旅は楽しい。歩くのもかまわない。しかしこれはつらい。ハノイまでずっとこのままということもないのだろうけど、これと大して程度の変わらない状況が続くとも言える。

かなりうんざりしてきた。

海沿いの赤の矢印が国道1号線であり、鉄道路線でもある。この路線で移動しようと思っていた。
しかしこの国道1号線にうんざりしてきた。青い矢印の、山の中を進む国道20号線を通ってみたらどうか。
青い矢印のうち、ダラット(Đà Lạt)まではバスで2度ほど行ったことがある。ここは高原の避暑地で、いいところだった。山岳地帯ではあるが、険しいというほどの地勢ではなかったし、どこに行っても人がいて民家があって道路沿いに商売をしているのは同じだが、工業団地というほどのものはない。歩くのなら断然こちらだ。

それでも赤の海岸コースを選んでいる理由はただ一つ。鉄道に沿っているからだ。
ベトナムの鉄道は、駅間距離が日本よりも広い。駅の間は40kmぐらいは離れている。鉄道に乗ってやってきて、ひと駅分歩いて、鉄道に乗って帰る。そして次回鉄道でそこまできて・・・ という進め方を考えていた。ベトナムの鉄道は長距離移動用で、本数も少なく、日本の東海道線を使うようなわけにはいかないが、もともと私は鉄道が好きだということもあるので、徒歩旅行と鉄道旅行を兼ねるというのは魅力的である。

どうするべきか、出発前から地図を見て迷っていたのだが、決めきれずにここまで来てしまった。
Dầu Giâyの、国道1号線と国道20号線が分岐する大きな交差点まで来て、それでもまだ迷っていたが、吹き付けるトラックの排気ガスで覚悟を決めた。山ルートを採用する。国道20号線に折れる。

Dầu Giâyの北の国道20号線

急にひなびた感じになってきた。これぐらいなら歩いても問題がない。
写真に移っている橋の袂のコンクリート製の公衆便所みたいな建物は、おそらく戦争中の検問所であろう。道路の幅や橋は50年前の姿ということになる。当時と大きな風景の違いはないのではないか。
この20号線はずっとこういう風景ではなくて、急に道路の幅が広がって片側2車線になったりするし、都市部を通ることもある。そういったところも一号線よりも変化があって楽しい。

男はすべからくボンクラ

典型的なCà phê võng(ハンモックカフェ)

1時間に1回はこのようなカフェに入って休む。だから、「炎天下のベトナムの国道を丸一日歩き続ける!」という印象ほどきついことをやっているわけでもない。ベトナムでは道路沿いには人が住んでいて、人が住んでいれカフェがあるので、休むところには困らない。だいたい写真のようなカフェなので、汗だくになって入店しても嫌な顔をされないのが良い。もしこれが日本の喫茶店だったら、けっこうそれは嫌な顔をされるだろう。
とりあえず客であることを示すために、なにか飲み物を注文して、それから店のおばちゃんに「手足を洗う水を貸してください」と頼むと、水道を貸してくれる。そこで汗だくになった顔や手や脚を洗うのは実に気持ち良い。特に太腿から脛はお金を払わなくちゃいけないか法律で規制されているのではないかと思うほど気持ち良い。私はこれに気がついてから、この旅行にサンダルを持参するようになった。靴を抜いてサンダルに履き替え、足を洗うのである。

しかしこうして記述してみると、服を脱いでこそいないものの、ほとんど体を洗っているようなものであり、これだけ読むと傍若無人である。でもこれは、特に不道徳というわけでもないし、言葉の通じない外人がゴリ押ししているというわけではない。一つは、ベトナムの居住空間そのものが水を使いやすいようにできているので、上のカフェのような空間にはむき出しになった水道があるものであり、それは多目的に使えるようになっている。

もう一つは何と言ってもおばちゃんの柔軟性だ。ベトナム人はそもそも歩かない。移動は全てバイクだ。しかも日中歩くなど頭がおかしい。そこにかてて加えて外人である。店のおばちゃんからすれば、突然汗だくの外人が歩いてやってきて「水、水」って片言で懇願しているわけで、彼女の人生経験的にはかなり珍しいことではないかと思う。火星人が空から降りてきて日本語で駅の場所を尋ねるぐらいにレアだろうと思う。でもこの店だけではなく、こういう場面でおばちゃんが動じた試しがない。外国人だろうがなんだろうが、生理的な欲求を抱えているということの感知と理解はじつに迅速・正確である。これは、この徒歩旅行のもう一つの大テーマ「トイレ」でも遺憾なく発揮される。この旅行はおばちゃんに支えられているといっても過言ではない。

おばちゃんを見ると安心する。それに対して、おっさんは駄目だ。いや、おっさんに限らず、少年も青年もおっさんもジジイも、男はすべからくボンクラである。水使わせてくれとか、トイレ貸してくれとか、腹が減ったのでなにか食べさせてくれとか、まったく通じない。彼らは言葉で全てを理解しようとし、言葉が通じないと何もできなくなる。そして理解できない相手に対して攻撃的になる。まるで野良犬だ。「汗だくの外人が徒歩でやってくるなんてベトナム戦争以来だろうなあ・・・」と遠い目になる。おばちゃんなら平和と友好。たぶん彼女の目には、上の写真のハンモックで寝ている子供が泥だらけになって帰ってきたぐらいに見えるのだろう。

誰がために鐘は鳴る

30kmぐらい歩いて、夕方前にXã Gia Tânという街に到着した。ここで一泊することにする。Xãは漢字で書けば社。日本で言うと集落ぐらいの感じだが、けっこう人が住んでいて、市場も教会も携帯電話屋もあり、ニャーギーもあった。宿を取って、着替えて、向かいにあった焼肉屋に行く。

炭火を撮影したら紫色になると初めて知った。

朝から30kmも歩いたので、肉もビールもそれはおいしい。今日一日を思い返す。山ルートを選んで良かった。宿のことや、この近辺の地勢のことなど、1日で知識がずいぶん増した。今まで知らなかったことを知るというほど心地よいものはないし、それが文字通り「足で稼いだ」ものならなおさらだ。全面的に満足している。楽しいと思う。私はこういうことが好きだ。

しかし・・・ 一人焼肉というのは日本でもハードルが高いが、ベトナムではもはやアンタッチャブルである。そこに外人が一人で、なにか考え込みながら肉焼いてビール飲んでて、ときどき思い出したように満足げな表情を見せる。「こういう人はそっとしておこう」と思われるのは仕方ない。
だいたい、知らないものを知るといえば聞こえはいいが、それはそもそも知る必要のないことだからであって、誰もNhà nghỉのことを知らないのは、そんなものを知らなくても支障がないからだ。誰のためにもならず、何の役にも立たないことに、一人でルールとゴールを作って、一人でそれを達成したと言って喜んでいる・・・ そういえば子供の頃からこういう遊び方が好きだったな・・・ 三つ子の魂百までというから、これが私の本質なのだろう。
それが悲しいのではなくて、そういうことが思う存分できるこのベトナムとこの旅行は楽しい! 本当にハノイまで行ってみよう、と焼肉を食べながら心に誓った。いやそれも違う。こりゃあ、そうなるだろうな、えらい大変なことに巻き込まれたけど、考えてみれば子供の頃からこんなのだったのだから、まあしょうがないな、なるべくしてなったってもんだな、と思っていた。

2014/10/12(日)

ダム湖の脇を縫うような道路を歩く。
もっというと、ダム湖ができたのでこの道が迂回路としてできたのだろう。数十年分の年季の入った開拓村が道路沿いに開けている。漢字の書いてある開拓村もあった。おそらく華人だろう。このあたりのことはもっと知ってみたいが、外国人が首を突っ込むのはやめた方がいい分野でもある。ただ、少なくともサイゴンからここまで歩いただけを見ても、道路沿いに移住していくのはこの土地の基本的な成り立ちであり、「国内の華人を辺鄙な再労働キャンプに強制移住させた」というのも、何か違うようにも思う。
見れば分かることも多いが、見ても分からないことも多い。それの区別もわからないから、歩かないと分からないのかと思う。自己満足だけど。

そういう難しいことを考えているうちに、TT.Địn Quânという町に着く。暑さにへばったのでここでおしまい。
TTはThị trấn(市鎮)の略で、町と訳すべきだが、泊まったGia Tân社との区別がつかない。
食堂の裏で水道を借りて水浴びをして、満員のバスに乗って帰る。バスはよく走っているが、全部満員でかなりつらい。

ホーチミンから115.2km    

次回

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