Hanoi Walk 6th Part 1 Bảo Lộc-Di Linh-Tân Thanh 始まりの終わり 前編

Author: ktakeuchi

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2014/12/30 Tue

コース選択 ベトナムで送る人生

2014年の年末。私は迷っていた。

年末年始の休日で6回目の徒歩旅行をするつもりである。最初は海沿いに歩いていくつもりだったが、山沿いに入って中部高原と呼ばれる地域に来てみると、ここがなかなか良い。だいいち涼しい。現在Bảo Lộcという街まで来ているが、とりあえずこのままĐà Lạtまで行くとして、そこからNha Trangに降りるべきか。これは15年前に水曜どうでしょうベトナム縦断で通ったコースでもある。それともさらに中部高原の奥を目指してバンメトート(Buôn Ma Thuột)という聞いたことのない街に向かうべきか。

まさに人生とは選択である。

それはその通りなのだけど、40歳をこえた大人の男性が大真面目に悩むことではないという気もする。

いやいや、それがそうともいえないのだ。

私は今年2014年の2月に、40歳になってからベトナムに移住した。帰国予定も立てていないし生活基盤も移したので、まさに移住である。しかし仕事がうまく行っていなかった。とりあえず1年間はベトナムに住んでみるつもりだったけど、その1年間がもうすぐ終わるわけだが、先行きがさっぱり見えなかった。

「私はこのあたりで山を降りてしまうべきなのだろうか。それともここからさらに踏み込むべきなのだろうか。」

というのはまさに私の今の心境であり、それを直視したくなかったので、地図を見ながら旅行計画に矮小化して目をそらしていたのである。

オレがアイツを抱いた夜 ~ベトナム社会の片隅で

Bến xe Miền Đông
Bến xe Miền Đông

2014年12月30日の夕方、この先をどのように歩むか決めきれないまま、北方面のバスターミナルであるBến xe Miền Đôngに来た。12月30日夕方の地方へ行く交通機関は日本では大混雑だが、ベトナムの正月はテト、つまり旧暦である。そのため1月1日はInternational new yearという1日だけの祝日である。クリスマスがあって、祝日の少ないベトナムでの数少ない祝日で、このあとテトに向かって盛り上がっていく時期なので、なんとなく町はにぎやかになっている。このあたりの年末のそわそわした感じは、日本と似ている。

だから今日は普通の平日ということになる。そのためBảo Lộcに行くバスの予約は取っていなかった。行けばあるだろうぐらいに思っていた。

だいたいこういうのは甘いというものであって、Sleeping busは満席であった。ミニバンしか残っていないという。

ここでベトナムの中距離バス移動について説明しておこう。私がこれから乗る国道20号線を走るホーチミン市〜ダラット間(300km、6時間)を例に上げていうと、4種類のバスが走っている。

1 省営の公共バス

各省ごとに、主要国道上を公共バスが走っている。概ね省都を中心に放射状の路線を形成している。値段も安く意外と本数も多いが、やはり路線バスなので、マニアでなければ旅行で使うものではないだろう。マニアにはかなりおすすめの乗り物ではあるが。
省の間をまたいでバスが走っていることは珍しいので、これを乗り継いてホーチミン市からダラットまで移動するのは無理だと思う。

2 「ミニバン」「ミニバス」

Ford Transit
Ford Transit(Wikimediaより)

ミニバンが正式名称ではないが、フォードのTransitかメルセデス・ベンツ社の同じ種類の車。日本だとハイエースに相当するのか。15人乗りのミニバンで片道半日程度の都市間を結んでいる。いちおう免許制の路線バスであり、運行区間と料金が定められているが、客待ちのために市内をぐるぐる回ったり、荷物を運んだり、ミニバン同士で連絡を取り合って客をリレーのバトン式に受け渡しするなど、かなり柔軟な運用をしている。田舎の国道沿いに荷物を抱えてしゃがみこんでいるとヒッチハイクできる。
ミニバスは20人乗りほどの小型バスでほぼ同じ運用をするもの。
どうやら個人経営や家族経営でやっているっぽい。

3 寝台バス

Hyndai Universe
Hyundai Universe(Wikimediaより)

ヒュンダイの大型バスのユニバースの車内が寝台になっている。右、真ん中、左の3列で上下段あり、最後部は5人がけ。都合40人乗りということになる。寝台ではあるが、昼間も走っている。
全国をカバーする大会社(Futaなど)から、バス数台で運営しているものまで色々ある。
基本的に道端でヒッチしてしても止まらない(あくまで「基本的に」である。)

4 リムジンバス

2のミニバンを10人乗りに改造したもので、ゴージャスな椅子がついている。乗り心地がよく速達性がある。
2014年末のこのころはほとんど見かけなかったが、これを書いている2020年では非常に増えた。

2014年12月30日のBXMDに話は戻るが、私は3の寝台バスに乗ろうと思っていたのだが、それが満席で2のミニバンしか開いていなかったと、そういう状況である。

Bảo Lộcまで200km. 寝台バスなら4時間程度となる。夕方にここを出て、バスターミナルの直ぐ側にあるNhà nghỉ(前回存在を確かめておいた)に泊まり、12月31日の朝そこを出発しようという算段であった。

たかが4時間である。座れないというのならばともかく、席に座っていけるのだし、夜行でもないのにベッドにゴロゴロと横になって移動したいわけでもない。私はだらしない人間ではあるが、そこまでだらしないわけではない。寝台バスが満席なんじゃないかということは薄々予想してはいたが、それ以上の手を打たず運を天に任せていた。そしたら寝台バスの座席が取れなかった。

18時発のミニバンに乗る。三人がけの窓側の席だった。ミニバンの座席は三人がけなのである。座席の広さはLCCより狭いぐらい。だからかなりきついし、だいたい椅子のネジ止めが外れていたりしてガタガタする。それでも3人がけに私を含めて二人しか座っていないし、後はぼんやり座っていれば4時間ほどでBảo Lộcに着くはずである。

そうなのだが、ミニバンがちっともホーチミン市内から出ない。ミニバンは客が多くても少なくても経費は変わらないので、なるだけたくさん詰め込もうとする。3人がけに二人だなんてとんでもない話であって、車から半身乗り出して道路際で手持ち無沙汰にしている客を徹底してピックアップしていく。あっという間に3人がけ座席は埋まり、通路にも椅子を出して人を詰め、そこにどこをどうしたものか荷物まで積んでいく。

BXMDで発車待ちの車内。この時はまだなんてことなかった。

「3人がけの座席に3人で座ったぐらいで文句を言うな!軟弱者の罰当たりめが!」

と怒られそうなので、今の状況を説明しておこう。

まず、ベトナムのバス交通システムの問題がある。中距離に弱いのである。ホーチミン市から国道1号線を80kmほど東に行くとCẩu Giẩyという国道20号線との交差点に至るが、ここまで工業団地が並び、人口は稠密である。そしてこの距離はバイクで移動するにはちょっと長すぎる。本来ならばこのような区間には郊外鉄道を走らせるのがいいのだろう。鉄道が無理でも、大型バスによるピストン輸送をしても良いほどの乗降客数がある。しかしこれらの客が300kmからの距離を走る長距離バスに途中区間乗車してくるのだ。

これは昭和40年代頃までの客車列車の時代の日本の鉄道と同じである。上野から新潟や仙台まで行くような普通客車列車を通勤通学で利用するために大混雑が起こってしまう。

道端の客を拾おうとしてミニバンは急停車と急発進を繰り返す。どれだけ混んでいても人間の一人ぐらい詰め込めないことはないし、全員が終点まで乗るわけではないのだから、多少の無理も少しぐらいならやっちゃえってことになる。ミニバンは所詮ミニバンでありそもそもの空間の容積が小さいので、詰め込んだ無理は全体にピーキーにあらわれる。

「まだ乗せる気か。もう諦めて先に進んでくれよ。」
「ようやく諦めたか。スピードを上げ始めたぞ。」
「くそ、止まりやがった。運転手は欲を出したな。」
「この客は荷物が大きいから無理だって。」
「・・・ああ、押し込みやがった・・・」

こんなことを考えながら乗っているのでいちいち疲れる。考えなければいいのだが、いちいち身につまされるのだ。

だって、これは私だ。

これは零細企業の悲哀だ。あまりにも、このバスの運転手と私は同じだ。
バッファがないから詰め込む。詰め込んだらすぐに無理が出るが、無理を承知で我慢しなければならない。こんなことをしているから付加価値が少なく安売りになり、粗利益率は低く、結局バッファがなくなって最初に戻る。

バスの混雑がこうなっている根本的な原因が少資本経営なのだから、同じく少資本経営で余裕がなくなって仕事に行き詰まっている私と似通っていて当たり前なのだけど、あまりにもいちいち心が痛い。

今年の2月にベトナムに来たとき、私はベトナムの市場を開拓し、ソフトウェアによるイノベーションを起こすつもりだった。それなりに立派な志を持っていたのである。しかしそれはただの偏見だったことに気がついてきていた。日本は先進国で進んだ社会。ベトナムはそうではない。だから日本のやり方やソフトウェアをベトナムに持ってくればイノベーションが起こせるのではないか、とこう思っていた。何という傲慢な思い上がりであったことかというのは、このベトナムの10ヶ月で分かってきていた。でも分かったからといって、どうすればいいのか分からない。でも売上はあげなくちゃいけない。私は、これをするのはやめようと思っていたソフトウェアのオフショア開発、つまりベトナムの人件費の安さを売り物にする商売に手を出そうとしていた。これは無限地獄であるのは分かっていた。詰め込んで無理を出し、その無理を人間に吸収させ、そんなことをしているから付加価値がなく安売りになり、そして最初に戻る・・・

年末に、どこともしれぬベトナムの山奥を、満員のバスで揺られている。外は真っ暗だ。
目的地には向かっているはずなのだが、いつ着くのかは分からない。
全く身につまされる。私は一体ここで何をやっているのか。私はこんなバスに乗るためにベトナムに来たのか。

人と荷物でいっぱいになったバスがよたよたとベトナムの夜道を走る。
この時点で3人がけの席には4人が詰め込んで座っており、座席の下のスペースには荷物を押し込んでいるので各自が自分の荷物を膝に抱え込んでいる。だんだん荷物の隙間に人間が挟まっているようになってきた。

さてこのようなとき、ベトナム人は優しい人達で、にっこりと「俺の膝の上に座れよ」と言ってくれる。ベトナム人が優しいかどうかは昔から東南アジア旅行者の間で意見が分かれる。「ベトナム人はとても優しい」という人もいれば「ベトナム人はきつい。しんどい。中国人よりもエグい」という人もいる。その両方の意見を聞いてここに来たが、分かったことは、そもそも○○人などという大雑把なくくりで性格や特徴を述べるのは浅はかな偏見でしかないということだった。

私がベトナムに来た理由がそもそも虚妄だったのではないか?
地に足をおろしてみれば、そこは私のいるべき場所ではなかったのかもしれない。山を降りるべきだろうか。しかし少なくとも、自分の膝の上に座れと言ってくれるのは優しいとは言えるだろう。安っぽいが地に足のついた実感ではある。しかし、なぜ私はベトナムにいようとしているのかは、ベトナム人のこの優しさと笑顔に惹かれたから・・・なんかではない。

だってそもそも私は満員のバスの中で立っていたとしてもおっさんの膝の上になど座りたくないし、座ってほしくもない。おっさんではなくて若いお姉ちゃんでも嫌だ。そんなことどうでもいいからさっさと目的地に着いてくれよ。これ以上余計なことを考えさせないでくれ。それでもどうしても膝の上に座らせざるを得ないのならばどちらかといえば若いお姉ちゃんのほうが良いのだが、なぜかそういうときはおっさん限定である。理不尽だ。

バスがまた止まった。今度は軍人が乗り込もうとしている。緑色のパジャマみたいな軍服を着た若い兵士。休暇で実家にでも帰るのだろうか。兵隊さんよありがとう。だけどさすがにこのバスはもう無理だと思う。というかやめてほしい。しかし車掌は車内をぐるりと見渡し、おもむろに私と目を合わせ、にっこりと微笑んで、その膝の上に座らせてやりなよ、という。

なんで俺、年末の夜に社会主義国の兵隊を後ろから抱きかかえてんだろ。しかも彼、汗臭い。おまけに貧乏ゆすりする。私の股間の上で彼の尻が揺れる。
お好きな人にはたまんないのだろうけど、私はお好きじゃないんだよなあ。

6時間かけてバスはBảo Lộcに到着し、もう日が変わっていた。
それでも着いただけでもう良かったし、目の前のNhà nghỉに入ってすぐ寝た。

2014/12/31 Wed

Bảo Lộk-Di Linh 場違いなおっさん

明けて2014年12月31日。さて、第6回Hanoi Walkの始まりである。
ここまで来るのは大変だったけど、来てしまえば冷涼な高原の朝である。気持ち良い。

冷涼な高原の朝

道路の両脇にはぽつりぽつりと家が建ち、その向こうはコーヒー畑になっている。

あまり知られていないが、ベトナムは世界第2位のコーヒー豆生産国である。第1位はブラジル。第3位がコロンビア。その割にはあまり有名ではないのは栽培している豆の種類のせいもある。

モカとかブルーマウンテンなどのコーヒー豆はアラビカ種というものになる。しかしベトナムで栽培されているのはロブスタ種というもので、環境適応性が高く病気に強く大量に収穫できるが、味は酸味がなくて苦くて渋い。そのままブラックで飲むのはちょっとつらい。だからベトナムコーヒーは練乳を入れて甘くしたりするし、ベトナム国内ではお茶と混ぜたりする。そのため、インスタントコーヒーや缶コーヒーの原料として使われることが多い。

コーヒー豆の精製。天日で干して果肉を取り除き中の豆を取り出す。

私は日本にいた頃、大のコーヒー党だった。味や焙煎にこだわりはしなかったが、濃いめのブラックコーヒーが好きで毎日大量に飲んでいた。それがこのコーヒー大国・カフェ天国に来てコーヒーを飲まなくなってしまった。どうも私が好きだったのはホットのブラックコーヒーの酸味だったらしい。

だからコーヒー畑の中を突き抜けて行くと、嬉しいような申し訳ないような気分になる。

冷涼な高原の昼下がり

気分は良いが、代わり映えのしない光景ではある。
疲れてきた。

今日は泊まるべき町に目星をつけていた。その町に3時前というベストタイムに到着。着いてみれば、醸造タンクのあるビアホイが2件もあるというラブリーな街。大晦日スペシャルにふさわしい。宿をとってシャワーを浴びて、こういうところで飲むためにやっているのだ。

しかしなぜか、この町には旅館(Nhà nghỉ)がない。
一軒一軒看板を見て回ったが、ない。

なければどうしようもないので、次の街の Di Linhまで歩く。こういうオアズケをくらうと、道のりは実に辛い。陽暮れて道遠し。半泣きだった。

ラムドン省Di Linh

ようやくDi Linhに到着し、Nhà nghỉに転がり込んでシャワーを浴びる。このままベッドに倒れこんでしまいたいが、同じぐらいビールが飲みたい。その一念で歩いてきた。南無八幡大菩薩、今日の俺はそこらで安飯食って缶ビールを買って帰るような真似はしない。さっきのビアホイよりも良い酒を飲むぞと固く心に誓った。

だけどこの街はそこそこの規模なのに、なぜか食堂ひとつない。フォーなどの屋台がちょこっとあるだけ。ビールは影も形もない。

意地になって端から端まで歩くが、本当にない。

道路に沿って細長いDi Linhの街の中を1時間近く歩きまわって、最後にへたり込んだ。もう歩けない。腰から下ががたがた。街の真ん中で遭難しかねない。

タクシーをつかまえて、「レストラン(Nhà hàng)に連れて行ってくれ!」と懇願した。Nhà hàngというのは宴会場みたいなもので、一人で食事をするような場所ではないのだが、ビールと屋台飯ではない食事が絶対にある所に行きたかった。

Restaurant in Di Linh town.

タクシーは、2時間前の私が半泣きになりながら歩いていた道を無慈悲に逆走し、露骨に宴会場っぽいレストランに着いた。

一人客に戸惑うウェイトレスは、腹減ってそうなベトナム語を読めない外人に、これを食べろとメニューを指差す。いいからそれ持ってきて、って言ったら、豚角煮定食というど真ん中の屋台の定食が出てきた。

ど真ん中の定食メニュー

食ったけどさ。そりゃもちろん。
こうなりゃこのレストランに居座って一品物の料理をたのんで自分の気がすむまでビール飲んでやると固い誓いを新たにした。40歳の男盛りが大晦日に決心する内容としてはあまりにも情けないと自分でも思う。

周りの大晦日の宴会客の遠巻きな視線が突き刺さる。

昼飯時に牛丼屋でビール何本も飲んでる、そういう場違いな酒飲んでるおっさんっているよなぁ・・・ と思い出しつつ、そういう感じで2014年を締めた。

2015/1/1 Thu

人類にとっての偉大な飛躍2015

2015年1月1日。元旦の朝をDi Linhというベトナムの山奥の小さな町で迎える。

元旦の朝に安宿の窓から眺めた光景

窓から外を眺めると、山も谷も朝もやの中に沈み込んでいた。

ベトナム人にとって1月1日はテトの前のただの祝日に過ぎなくても、日本人の私にとってはやはり1月1日が元旦で、そういう日の朝をこういう見知らぬ地の安宿で迎えるのは、なんともいえない寂寥感がある。軽く二日酔いなだけになおさらだ。

ベッドに腰掛けて殺風景な壁を見つめながら、さあこれからどうしようかと思案する。

ついに異国で年越しまでしてしまった。私はこれからどこへ行くのだろう?
いやいや、そういう事を考えてどうする。今日これから具体的にどこへ行くかだ。

バスとビールに振り回された感はあるが、この旅行の最初に立てた問いは全く解決していない。海岸に下るか、さらに奥地に踏み込むか。

徒歩旅行も6回目となりだんだんコツが掴めてきた。この旅行のルートを規定するのは宿である。歩くというのは融通の効かないもので、一日に歩ける距離には厳しい上限がある。そして日が暮れてしまえば身動きがとれない。車やバイクなら数キロや十数キロを余計に移動することは難しくないし、日が暮れても注意して運転すればよい。鉄道やバスでの移動ならば、大抵の場合は人口密集地にたどり着くことになるので、宿やタクシーもないというところに来てしまうことはめったにない。しかし、歩いて旅行すると、日が暮れて体力も尽きた場所に必ずしも宿やタクシーがあるとは限らないし、そのへたり込んだ場所からほんの数百メートルのところに宿があったって、その数百メートルを探索するのが難しい。そのことを昨日のBảo LộcからDi Linhの間で痛感した。

だから、朝から歩き始めて、遅くとも15時ごろには宿のあるところにたどり着くというのが基本的なルーティングになる。

Đà LạtとBuôn Ma Thuộtの間は180kmほどあり、これを歩いて踏破するには5日ほどかかることになるが、適切な間隔でNhà nghỉがない。
このNhà nghỉがないというのは、Google mapで「nha nghi」で検索してみた結果である。果たしてこれは正しいのか。いくら全知全能のGoogleとはいえ、こんなベトナムの山奥の旅館まで網羅しているものだろうか。

分からないし分かりようもない。
ただ、今いるこのDi Linhからダクノン省のGia Nghĩa市まで国道28号線を抜けるルートは112kmであり、こちらのほうがまだどうにかなりそうな気がする。

2015年1月1日元旦。
私は岐路に立っていた。

奥地に踏み込むなら、ここで左に折れて国道28号線を行かなければいけない。道中112kmになにがあるか分からないが、現状で分かる範囲での最短距離であることは確かだ。
奥地に踏み込まないのならば、ここから真っすぐ行って今までと同じような道を歩いてĐà Lạtに行く。そのまま山を降りて海岸に至ることになるだろう。

正月の朝の場末の宿で40歳の中年男性の私はすすり泣きそうになっていた。
私は今ここで決断をしなければいけないのに、決断をするための知識も経験もない。相談する相手もいない。
自分はなんでこんなところに追い込まれてしまったのだろうか。

もちろんそれは全て自分のせいだ。
この決断は所詮趣味の旅行の遊びでしかないのだが、本質はもっと深刻な人生の決断である。2015年1月1日。ベトナムに来て当初の期限の1年がたったが、仕事はうまく行っていない。私は日本に帰るべきだろうか。それともベトナムに残るべきだろうか。私は知識も経験も相談相手もないのに決断しなければならない。

人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である。
One small step for man, one giant leap for mankind.

宇宙飛行士のニール・アームストロングがベトナム戦争の最盛期の1969年に月面に降り立ったときに発した言葉

私の決断の先にあることは「人類」にとって意味のあることなのだろうか。
この1年間、私はずっと日本とベトナムを比較してきた。ソフトウェアもイノベーションも、ベトナム人は膝の上に座れよって勧めてくるぐらいに優しいとか。違いの先になにかの進歩があると思っていた。

これは全て意味がなかった。私が日本人であり私がベトナムにいることなどはどうでもいいことだった。私は人類の一員であり、私の目の前には人類しかいない。私がなにかを問いかけ、迷い、決断するときは、主語と目的語は「私」か「人類」かどちらかしかない。それ以外の分類はどうでもいいことでしかなかった。

宿を出たら、まだ朝もやが出ていた。周りを見渡しても何も見えない。

ラムドン省Di Linh

私は左に折れ、Gia nghiaに向かうことにした。私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である。

ホーチミン市より222.1km