都市難民のごみ回収状況について調べるために、まずは難民キャンプそのものの人類学的調査を読んでみた

人類学者によるタイ北西部メーホンソーン県のカレンニー(赤カレン)難民の研究。

私はごみ回収人(Waste Picker)のことについて調べていた。アプリでトラッキングすれば効率化できるしゆくゆくは受益者負担と公平な労働分配に結び付けられると思ったから。ホーチミン市の事例を調べてみたり、公的収集の追いついていない地方の事例を調べたりしている。その中で気になっていたのが、極北の事例と言える難民キャンプだ。
だから難民キャンプを見てみたいと思っていたけど興味本位で観光するようなものではないし、入れないとも思うし、仮に私が入れても目に映るというだけで何もわからないと思う。だから人類学者が見てきてくれるのは大変に興味深いしありがたい。

難民キャンプの中身は震災のときの避難所とあまり変わらないように見受けられる。当たり前といえば当たり前の話ではある。つまり特殊な形の行政の問題であり、ホーチミン市や神戸市とそれほど変わることはない。またこれをソーシャル・イノベーションで解決すると言うのも無理がある。ごみ回収の費用は受益者負担なのだけど受益者に金がないから支援者が支援する/バウチャーとして還流することで域内経済として循環するという形を作れないかと思っていた。それは長い目で見れば可能だろう。でもそれはスタートではなくてゴールだ。

一番の問題は技術でもビジネスでもなく政治だ。タイ政府は難民に定住してほしいと思っていない。伝染病が発生しないなどの保健衛生としてのごみ回収は必要だが生活が快適になってもらっては困る。自立した生計を立ててもらっては困る。難民キャンプは文字通りキャンプであって学校や病院や刑務所や軍隊と変わらない。高校生に学校の中で商売しろつて言えるか?
これはロヒンギャ難民に対するバングラデシュ政府も同じだろうし、UNCHRだって国際NPOだって同じだろう。

都市難民の場合はどうだろうか。少なくとも「キャンプ」ではない。しかし彼らは難民なのだろうか。移民なのだろうか。難民と移民の区別は付きにくい。難民の定義は難しくこの本でも難民支援機関の援助を受けていることこそが難民の定義だとやや詭弁めいた(実に人類学的な)ことを言っている。詭弁だけど本質だとも思う。
でも難民は難民。今実際にそこで困っているのだから。
「ポルノは何かとは定義できないが、見れば分かる」
というのは至言だと思う。
定義なんかしようがないから、ごみ処理をはじめとする都市環境の維持は、行政のイレギュラー問題として捉えられる。こういう言い方がいいか悪いか分からないが行政の実務的には自然災害と変わらないと思う。昔の日本の「戦災」っていい方をひどい言葉だと思っていたけど、現場的というか現象的には適切なんだろう。 だからとりあえず目指すべきなのは、都市難民が発生している状況下における既存の行政の効率化だろう。
最終的に目指したいのは、難民が発生したときの緊急エイドキットに組み込まれること。それはまさに保健衛生の問題だし難民が発生すればその日からごみは出る。場所と種類とAIで疾病の発生危険性などはほぼ予測できるだろう。それは動的なハザードマップであって、WHOや国境なき医師団とも共有できる。よくごみ回収のことを静脈産業っていうけど静脈というのはそういう機能まで持っていてしかるべきだと思う。それになにより、技術が生命と基本的人権を具体的に守るというのは気持ちの良いことだ。