プラスチック代替としての生分解性プラスチックストローの課題と展望

Author: ktakeuchi

生分解プラスチック使用ストローとは、その名の通り自然界において微生物が関与して環境に悪影響を与えない低分子化合物に分解されるプラスチックを原料としたストローのことです。

価格

純然たる工業製品なので価格はロット数や商流に大きく左右されますが、大まかに言うと1本3円ほどになります。

米粉ストローが1円〜3円ぐらいですので、ほぼ同じぐらいということになります。

通常の(非生分解の)プラスチックストローは0.1円ぐらいですので、30倍ということになります。これをどう捉えるかは消費者次第でしょう。いくら環境のためとは言え既製品の30倍もの消費財はまかりならんという人にとっては当初から論外の値段であるし、それはある程度許容した上で、その「ある程度」がどれぐらいなのかという観点から見ると、検討の範囲内であると思います。

耐久性

耐久性は今あるプラスチックストローと同じです。それはそのとおりで、これは生分解するプラスチックを使っているというだけであって、プラスチックストローであることには変わりありません。

生分解性プラスチックですので、微生物のいる生ぬるい水に6ヶ月ぐらい漬ければぼろぼろになる(分解される)でしょうけれども、そのような仕様をストローに求めるのは筋違いでしょう。

プラスチックと言っても様々なものがありますし、今後生分解性プラスチックが普及していく中で、耐久性や耐熱性などで際どい競合をする場面は頻発すると思いますが、少なくとも「ストロー」という用途では、そのようなものが問題になるような場面は想定できません。

価格的に競合となるのは紙ストローです。紙ストローは1本1円ぐらいで提供されます。コーティングのためにプラスチックを使っているので、これをプラスチック代替というのはフェイクだと思いますが、世間では紙だからエコぐらいで流通しています。その紙ストローの耐水性は、もちろんどれだけコーティングにプラスチックを分厚く使っているかで千差万別ですが、エコ感を出すためにある程度のところでヘナヘナになるように調整しています。それをどう評価するかは別として、生分解性プラスチックストローは少なくとも数時間や数日というオーダーでどうにかなるものではないので、使い勝手としての耐久性は圧勝です。

においや保存性

通常のプラスチックストローと全く変わりありません。

触感

従来のプラスチックストローと変わりありません。繰り返しになりますが、これもプラスチックの一つですので。

米粉ストローの記事で書きましたが、ストローを咥えた時の触感というのは今までの慣れの問題にすぎません。今まで私達はプラスチックのストローを使ってきたので、その薄さ、その強度、その明らかに食物とは違った触感といったものを当然視してきました。それを前提とするのならば、米粉ストローは明らかに違和感があり、生分解性プラスチックストローは、全く違和感がありません。言われなければ気が付かないし、言われても区別がつかないです。

生分解性プラスチックストローの限界

いい事ずくめに思える生分解性プラスチックですが、そうでもありません。

生分解するとは、あくまで微生物が活動できる環境において6ヶ月ほどで分解するという話であって、微生物が活動できない環境では分解されずに残るということになります。それはどこかというと、深めの海の中です。海の表面や波打ち際などにあればそのうち分解されるのでしょうけれども、海の底の方に潜ってしまったものは、おそらくそのままです。

また、プラスチックストローが問題視されたそもそもは、魚がそれを食べてしまうなどの生態系への影響です。分解されるまではただのプラスチックですので、魚を始めとする生態系への悪影響は、分解しないプラスチックよりは最終的にはマシでしょうけど、マシというレベルではないのかと。

結論と今後の展望

生分解プラスチックストローの特徴は、よくも悪くも中途半端だということです。
プラスチックの良いところもプラスチックの悪いところも、どちらも受け継いでいます。そのため、生分解プラスチックが良いか悪いかは、プラスチックそのものをどう考えるかによって変わってきます。

プラスチックの発明以来人類が製造したプラスチックは全量がそのまま分解されずにこの生態系の中を漂い続けている。その多くは海に流れ込み、その総重量はすでに海の魚の総重量を超えてしまった。これは人類が生み出した怪物であり、どうにかしなければいけない。

人によって論点は異なるでしょうが、プラスチックをネガティブにとらえる議論は概ねこのようなところでしょう。

これに対して、2つの考え方があります。急進論と穏健論です。

急進論は、プラスチックそのものを悪とするものです。全廃することは難しいにせよ、保存や処分を完全にコントロールできる分野でのみ使用を許可制として、残る分野では全廃するというものです。

これは過激なように見えてそれほどでもありません。なぜなら、薬物や毒物など、人類社会は多くの必需品をこのような扱いにしています。消費者が直接使用するものであってもガソリンの輸送や保存や使用が厳密に管理されていることを当たり前として受け入れているし、DDTのように一時期は大量に使用されたけど、その後残留汚染が認められて使用禁止になったものも多くありますし、それを不思議なこととも思っていません。プラスチックもこのようなものの一つとして扱えばよいという考え方は、それほど突飛なものではありません。

穏健論は、自然界に垂れ流されるプラスチックは悪だけど、プラスチックそのものは悪いものではないのだから、ちゃんと回収して処分すればよいというものです。この場合の処分とは焼却処分も含まれます。プラスチックを燃やすと有毒ガスが出るというのは野焼きにした場合であって、適切な回収-処分システムに乗せてしまえば良いではないかというものです。

これも十分な論拠のある説です。自然界に垂れ流してはいけないのはプラスチックだけではないのであり、人類にとって有益な存在であるプラスチックを廃止したり規制することによるコストを考慮すると、そのコストを廃棄物処理システムそのものに投資したほうが良い、というのはリーズナブルな考え方でしょう。

この2つの立場のどちらを是とするかは人それぞれであるとは言え、どちらの方法論であっても実際にどうやって実行するかを考えると、実はあまり変わらない、とは言えます。
プラスチックを原則禁止するにしてもある日突然全世界で歩調を合わせてそれができるわけでもないので、段階的なプロセスを踏む必要があります。
プラスチックを回収-処理システムにのせると言ってもある日全世界に突然廃棄物処理センターができるわけでもないので、これも段階的なプロセスを踏む必要があります。
人々をその気にさせるためのパフォーマンスはともかくとして、実務は大した差がないのではないか・・・と私はそう思います。

その「段階的なプロセス」というものを考えたときに、重要なパーツになるのが生分解性プラスチックです。生分解性プラスチックで代替できるものはなるだけそうしていけばいいじゃないか、海の底には残るかもしれないし、誤食する魚も無くならないだろうし、根本的な解決ではないかもしれないけど、それでもだいぶ「マシ」だろう、という考え方です。

そしてこれは、経済的な裏付けが取れます。生分解性プラスチックはあくまで工業製品ですので、大量生産すれば単価が下がります。今は生分解性プラスチックストローは、通常のストローの30倍の価格ですが、この価格差は原料の価格差であり、需要が増すにつれて、その差は20倍、10倍、5倍と縮まっていくでしょう。
そしてそれは、1倍にする必要はなく、5倍か3倍か分かりませんが適切なところで打ち止めにして、その差額を別の用途に回収する、ということはしても良いと思います。別の用途というのはゴミ回収システムかもしれないし、すでに海洋に漂っているプラスチックの回収かもしれません。非生分解プラスチックの取り扱いの厳密化かもしれません。それにいくらかかり、どれから優先するのかの議論は今後に任せるにしても、それにカネがかかるということには間違いありません。この社会をプラスチックを必要な状態にしておいて、そのプラスチックから「税」をとる、というようにすることは可能だと思います。

話が大きくなってしまいましたが、生分解性プラスチックストローを使うとは、「そういうこと」です。「そういうこと」というのはお金のことです。今、生分解性プラスチックストローを使うと、今までのストローの30倍のコストを払わければいけません。この「30倍」はゴミ回収システムや海洋に漂うプラスチックの回収の原資であり、投資なのです。

あえてこう言いますが、たかが0.1円が3円になるだけじゃないですか。
消費者はそれぐらい負担しても良いのではないでしょうか。

この結論は、米粉ストローと同じものです。
プラスチック代替ストロー市場というニッチ市場の展望に限っていうと、おそらく米粉ストローと生分解性プラスチックストローに二分されるでしょう。製品特性は全然違い、値段は同程度。需要の増加による単価の下落度合いも同程度。あとはこの2つは、「急進派」は米粉ストローを使い、「穏健派」は生分解性プラスチックストローを使う、という程度の使い分けに落ち着くのではないかと予測します。