Hanoi Walk 6th Part 2 Di Linh 始まりの終わり 中編

HanoiWalk

2015/1/1

地図がない

偉大な一歩を踏みしめ始めたわけだが、困ったことはこの道がどういうところか事前に全くわからなかったことである。宿泊施設がなさそうだということは分かった。しかし、本当にないのか、それとも地図に記載されていないだけか分からない。

途中の国道28号線と省道725号線の交差点部分の地図を拡大してみたらこんな感じで、ガソリンスタンドと雑貨屋があるらしいというのはわかるが、それ以上の情報がない。

同じ場所を衛星写真で見てみてもますますどういうところか分からない。
そして、ベトナムではGoogle street viewがない。これを書いている2021年現在ではハノイやホーチミン市の一部で始まっているが、2015年当時は全く展開されていなかった。

Google mapがあってこれだけわかるだけでも大したものなのだから文句を言うべきではないのだけれども、肝心なところが分からない。肝心なところというのは、本当にここは歩けるのかということだ。

山道みたいだけど、地勢は険しいのか。人は多少は住んでいるみたいだけど、どの程度食堂などがあるのか。もしかすると本当は旅館ぐらいはあったりするのか。

2014年夏 東京

これが日本の山道だったらわかる。

今、ランダムに日本の上でGoogle mapを拡大していったら栃木県のとある山中になった。もちろん行ったことのない場所だが、地図だけでだいたいどういう景色か想像ができる。

衛星写真を見ればさらに明瞭に想像できる。
なお、このあとStreet viewを見てみたらあまりにも予想通りの風景だったので自分でも驚いた。

これが分かるのはもちろん、私の頭の中に数多くの日本の景色が記憶されていて、パターン認識が可能だからである。ベトナム人なら同じ地図を見て逆のことをいうだろう。
日本では、私はどこに行けばどんな景色が見えて、そこでどんな経験ができるのか、大体分かってしまう。そのうち新しい景色や新しい体験を探しに行くことも面倒になってきて、その場に立ち止まってしまう。つまりそこが人生の終着点だ。

1年半ほど前の日本にいた頃の夏のある日、東京で山手線に乗っていた。目白と池袋の間。ドアのところに立って見るともなく線路の東側の光景を見ていた。そしてふと思った。私は今目に写っている光景のほぼ全てが分かる。それは民家でそれはオフィスビルで、そのオフィスビルは古い雑居ビルでだいたいどんな感じの会社が入っていて、その民家はいくらぐらいで築年数はどれぐらいでどんな感じの人達が住んでいて、そこは再開発していてどんな感じのものができそうで、もしここで暮らしたり仕事したりしてみればどういうふうになるのか。ここにあるあのホテルならどの程度の部屋があって一泊いくらぐらいか。
だいたい分かる。
もちろん分からない部分も多いのだろうが、その分からない部分というのはもはや私には分かるようにならない。私の残る人生ではその部分は分かるようにはならない。
つまりこれが、私の人生の行き着いた果ての光景だ。
そう思うと、胴震いするほど寂しく恐ろしく、残念で無念に思った。たぶんこれが、私がベトナムに来た最大の理由だった。

念願かなって、地図を見てもどういうところかさっぱりわからない場所を歩いている。一泊いくらで部屋のグレードがどれぐらいかの見当がつくどころか、今晩泊まる場所が分からないというレベルで分からない。仕方ないから怯えながら歩いている。
山手線の悩める中年のあんたさんよ、まさに望んでいたのはこういうことなんだろう? と自分に問いかけてみるが、何かどこかで話がずれたような気がする。一つ一つ筋道を追ってみると間違えてはいない。しかし全体として大きく間違えている気がする。

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Posted by ktakeuchi