上海一日游

Travel,アジア,上海,中国

静岡空港の中国人たち

ホーチミン市に無事に帰ってきました。でも写真は上海。

今回は中国東方航空で静岡空港In/Outで東京も大阪も行かず。静岡空港いいですわ。楽だ。もう成田も関空も行きたくない。

静岡空港は行きも帰りも中国人で満員だった。静岡-煙台便という誰が乗るんだそんなマニアな路線って便すら満員だった。
70を超えているいかにも農民という団体客と、個人旅行に来ていると思われる幼児連れの若い家族旅行が半々。いろいろ示唆的です。
幼児1人〜2人の若い夫婦のお母さんのほうが若くてきれいな人が多かったのが印象的。「金と手間かかってんなぁ」と感嘆させられるというか。
揶揄してないです。素直に感心しています。幼稚園ぐらいの子供がいる年齢であのスタイルと生活感のない雰囲気を維持するのはすごい。それが一人でなくて集団の特徴として。

静岡空港発が遅れて上海に遅延。乗継便は出てしまって中国東方の金でホテルをとって上海一日周遊エクストララウンド。
こういうの初めてなんだけど、まず入国して荷物を受け取ってからホテル送迎バスに乗ってくれと言われて困惑した。私は日本人だから中国にノービザに入れるのでそれでいいのだけど、そうでない場合はどうなるんだろう。今回日本に行くのにベトナム人のビザをとろうとして散々苦労した挙げ句に取れなかった。彼女が成田乗り継ぎで遅延したらどうなるんだろう。また、私が高麗航空平壌乗り換え便でこうなったら北朝鮮に入国できるのだろうか。

上海幽閉

ともあれ、日本旅行で静岡ダイレクトだったつもりが上海旅行がおまけでついてきた。それはちょっと嬉しいのだけど人民元ももってないしSIMもないし中国語を事前に勉強もしてない。数字の数え方すら忘れた。How muchは多少銭だったっけ? その状況でとりあえずホテルに放り込まれて24時間待てという。

浦東空港からバスに乗って殺風景な新開地を走る。どこにいるのかも分からない。高速道路とビルと工場。漢字が書いていなければそもそも中国であることすら分からない。30分ほど走って一応三ツ星なのだろうけど場末感の漂うホテルに着いた。同上の客は、おそらく上海で国内線に乗り継ぐはずだった農村のご老人御一行。
ロビーで換金してくれない。しかしロビーの横のキオスクがドルなら扱うよというので、ドルでビールを買ってお釣りの小銭を15元ばかり入手。ホテルにはWiFiがあるがFacebookやLineやgmailは使えないので自分が予定通りに帰国せず上海に幽閉されたことすら家族や職場に連絡できない。
翌日のフライトは夜なので、それまでにこの15元を握りしめて銀行と通信を求めて上海探検となった。

ホテルのWiFiはGoogle mapが動かなかったが、maps.meという地図をオフラインダウンロードできるアプリを入れていて、その上海地図はDLできた。それによると、上海市の南東の外れにいるらしい。
ホテルの前にバス停があった。路線図をみると地名に見当はつかないがときどき「地鉄」と書いてあるので地下鉄に乗り継ぎはできるのだろう。こんな辺鄙なバス停にも中国名物のレンタル自転車が一台おいてあった。これが使えたらかなり便利になるのだが、アプリを登録していないし、決裁のためのアリペイなどの口座も持っていない。それを眺めながら恨めしそうにバスに乗る。

一律2元のバスは農村にバカでかい道路を碁盤目にかぶせましたという感じの郊外をゆっくり走る。同乗の客は年寄りばかりで病院で大きく乗降する。淡い青空で暖かくも寒くもない気温。道路はすっきりしていて空いていて清潔だが活気がない。静岡でしずてつジャストラインに乗っているのとほぼ同じ。終点は「迪士尼」と書いてあってなんか香港みたいな地名だっと思ったら、上海ディズニーランドだった。あったなあ、そういえば。

地下鉄で、たしか上海の中心ってここだったというおぼろげな記憶のある南京東路へ。大きな歩行者天国があり、10年ほど前に来たことがある。その記憶が蘇った。前は野暮ったい感じがしたけど今回はそうは思わない。しばらく歩いてみるが、マネーエクスチェンジがない。そりゃ今どきそんなものはない。脇道に入って銀行を探す。今日は2019/5/5日曜日で中国って日曜日に銀行やっているのか不安だったが、開けてた。日本円を替えたいというとここじゃなくて違う銀行に行けと言われて、最後にBank of Chinaに行き着いた。でも両替に40分待ちだという。待たなくちゃしょうがないので待った。残り5元ほどしかない。日本円で80円。ベトナムだと16kか。ベトナムの小学生の小遣いにもならない額のコインを握りしめてスマホ無しでほぼ見知らぬ大都市をさまよっているのだから心細いと言ったらこの上ない。飛行機が遅れるなどということはよくあることであり人民元がないのSIMがないのといって慌てるのは鍛錬が足りないのであって今後はいくらかの人民元は財布に入れておこうと、少し多めに両替した。

老いるアジア

ようやく両替がすんで(結局1時間待ちだった)出てみると、20系統のトロリーバスが走っている。金ができたので帰りはタクシーに乗ればいいやと気が大きくなったこともあり、とりあえず乗ってみる。トロリーバスは日本では鉄道の範疇に入のだが鉄歴何十年のくせに乗ったことがない。初トロリーとは素晴らしい。金ができたので鷹揚である。

九江路という道を走る。トロリーバスが走っているぐらいだから昔からの繁華街なのだろう。建物がいちいち租界っぽい。それにずっとブランドショップが入っている。格好いいものだと思う。このトロリーがトラムだったらもっと様になるが、これはこれでいいのかもしれない。終点は中山公園を回り込んだ華東政法大学の前。昔の団地に新しいコンド(花園というのか?)が立っていて、東京で言えば世田谷っぽい雰囲気のところ。ここも年寄りばかりだった。呉淞江沿いに遊歩道ができていて、そこを歩いて地下鉄の隆徳路駅まで行った。

脳が軽い認知障害を起こしている。これは本当に上海なのか? いま自分は本当に中国にいるのか? 昨日の中国東方航空で違う世界線の中国に来ているんじゃないか? 今目の前にある上海は、清潔で、こざっぱりとして上品で、静かで、活気がなく、年寄りばかりだ。それが近年の中国と言ってしまえばその通りなのだけど、いきなり今の日本みたいになったように見える。

地下鉄に乗って浦東空港の近くの川沙に行ってみた。ここは3年前に来たことがある。そのときも中国東方航空の上海乗り継ぎで、そのときはせっかく中国に来たのだからとわざとフライトを一日ずらして滞在日を作り、空港の近くのここで一泊した。中国論を語る立場ではないが、せめて定点観測してみたかったからだ。

懐かしの川沙。3年前も「中国もきれいになったものだ。普通に住みやすそうだ」と思ったものだった。それと比べてもなにかが変わった気がする。何が変わったのかとしばらく考えていたが、街のあちこちにあった古臭い一角が少なくなった。個人商店が減った。屋台もない。だから、全体的に清潔になり、すっきりし、そして活気がない。

光は西方から

この発展は中国人にとって見ればいいことなのだろう。きれいで豊かで静かな中国。いや、中国人でなくてもこのほうがよいというだろう。しかし1973年に大都市郊外で生まれた日本人として、この光景は強烈に見覚えがある。第二次ベビーブーマーの私が子供の頃に住んでいた横浜や大阪の郊外の商店街の1990年頃の姿にそっくりだ。まだ人はいた。まだ店もあった。しかしなにか霊魂みたいなものが街から消え失せかけていた。その後の30年で、そういった街がどうなったかは、誰もがよく知っている。あれが、ものすごく速いテンポで来ている。背中にぴったり付けてきている。恐ろしい。

3年前に食べて美味しかったのでもう一度食べたいと思っていた新疆料理の店を探した。交差点の角のボロい建物だった。そこは小奇麗なビルに変わっていた。だけどその向かいの未開発の一角に移転していた。この店が特においしいのかどうかは私はわからないが、どうやら私は中央アジア系の料理が好きみたいだ。あと、スカーフをかぶった店員のお姉さんがかわいい。満足して外に出るとフットマッサージの店があった。入ってみると素人じゃないお姉さんたちが思い思いにソファーでだらけていて、なんだか私は旧友に会ったような気分だった。ホテルから空港に行く送迎バスの発車時間に厳しくなっていたけど、これは行かねばなるまい。スマホ以前の時代の日本人中国旅行者の秘技筆談で、まことにスムーズに意思疎通。お互いに「うん、分かってるよアンタ」という感じで、がっつり足マッサージにそっち系は無しで妥結。

結局ホテルから空港への送迎バスに間に合わず、タクシーを乗り継いて散財しながら空港へ。マッサージとタクシーで半日かけて両替した人民元は使い切ってしまった。でもなんだかすっかり満足した。なんだか久しぶりに海外旅行らしい海外旅行をしたという気分だし、中国はまだまだ奥が深く、「中国も日本みたいになってきた」などという上っ面の印象の頬っ面を軽くはたいてくれた。こうでなくてはいけないね。短いけど良い旅行をしました。