2018年テトカンボジアツーリング1 TP.HCM – Snuol

2018年2月16日(金) ホーチミン市(ベトナム)〜スヌオル(カンボジア)

今年のテト休みはまたカンボジアに行こうと思う。近場だが、金がなくてね。
金があるときは暇がない。暇があるときは金がない。真理なのだけど、どっちもないのもままあるという。

新正月に初めてバイクでカンボジアに行ったらとても良かったので、テトでは拡大版。
根詰めれば3日ぐらいの距離ですが、6日かけて行ってきます。
それにつけても金の欲しさよ。

国道13号線

ホーチミン市11区にある自宅を朝6時半に出て、1時間かけてHôc Mônを通ってThủ Dầu Mộtへ。今日はテトの正月の当日で、街はガランとしている。食事とかできるのだろうかと思ったが、意外と食堂やカフェは開いていた。ホーチミン市で生まれ育った人も多いし、全員が全員田舎に帰るわけではないのだろう。正月は正月で暇だというのも、日本と同じかもしれない。

国道13号線を北上。片側2車線+バイク用のレーンのある広い道路。コンクリートの中央分離帯があり、信号もほとんどない。まさにハイウェイ。

がらんとしたBình Long市内。奥に赤地に星のベトナム国旗と赤地に鎌とハンマーの共産党旗が交互に並んでいる。イデオロギー的というよりは、あまりにもテトに馴染みすぎて大昔からベトナムはこの意匠でやっているような感じがしてしまう。このあたりがおおよそホーチミン・ルートの終端で、今はハイウェイの国道13号線は激戦区だったことを考えると、そして今年2018年のテトはテト攻勢50周年記念であることを考えると、なんだか皮肉な感じがする。

闇の奥

この写真はBình Longのもう少し北のLộc Nìnhの町外れ、DT759B道路との分岐点にある「ホーチミン・ルートの終点」と書かれた石碑。石碑の左側にある山に向かう道路が、かつてのホーチミン・ルートということになる。このLộc Nìnhには空軍基地もあった。ここから左にむかって12kmほど進むとカンボジア国境。今でこそ省営バスのバス停があるような場所だが、当時はまさに「闇の奥」といったところだろう。

しかし、ベトナム戦争はもうちょっとやりようはなかったのだろうか。
少女がナパーム爆撃から逃げ惑う有名な写真は、この隣のタイニン省で撮影されたものである。サイゴンから70kmぐらいしか離れていない。東京でいえば神奈川や埼玉にナパームを落としていたわけで、いくら軍事的に意味があろうともそれはまずいだろう。それよりも片側三車線の国道13号線のハイウェイを当時開通させてしまい、なんなら小田急や東武東上線みたいな郊外鉄道も通して、国民金融公庫からじゃんじゃん金を出して商売をさせてしまえば、そのまま平定できてしまったのではないかという気がする。

ホアルー国境(バイクで国境を越えた顛末)

13時にHoa Lư国境に到着。地の果てのような場所。国境エリアは撮影禁止なので残念ながら写真はない。

バイクで来たので、バイクで国境を越えた顛末を書いておこう。

国境の建物の前にバイクを止める。建物入り口に係員がいるのでパスポートとビザや滞在許可証などを見せ、バイクを置いたまま建物の中に入る。
荷物検査を通す。空港によるあるX線のあの機械。他の国境にもあるが、使っているのを初めてみた。
その後、出国審査。出国スタンプを押してもらう。

出国スタンプを押した後、逆に歩いてバイクを止めてある場所に戻る。
こういう手続で「戻っていいの?」と思うが、戻ってかまわない。何も言われない。
建物の横に屋根の掛かっている車道があるので、そこを押して歩く。この「押して歩く」が重要。ことによっては検査を受けるのだろうけど、今回の私の場合はスルーだった。
なお、個人の出国に関するパスポートなどの手続きは、身一つで出国するときと違いはないが、バイクそのものの書類や検査などは必要ない。不思議なのだけどそうであるとしか言いようがない。

建物の横を通り過ぎたら、バイクに乗って国境を越えて500mほど先のカンボジア側入国審査へ。こっちは小屋。係員がいなかったけど、しばらく待っていたら向かい側の警察署からクリーム色の制服のカンボジア係員がバイクに乗ってやってきた。時間が時間だったからご飯でも食べていたのだろう。
こちらの入国審査も、ビザのチェックや機械による指紋読み取りなど、身一つの入国のときと変わらない。バイクの検査も書類提出も求められない。ただしこちらも、ゲートを越えるまではバイクを手で押していくことを要求される。

青年ではないから荒野はめざしたくない

国境を越えてカンボジアに入って数キロメートルの地点。荒野である。人っ子一人いない。人っ子一人は言いすぎだが、1kmの間にかろうじて家1軒人1人というぐらい。道路の脇は何かの生産活動に使っているとは思えない、背丈の高い草の中に背の低い木がまばらに生えているというもの。

ベトナム側は、国境直前こそ人がいなかったが、そこまでは道路沿いに食堂や床屋やバイク修理屋が立ち並び、農地があり、バイクで人が行き交うよくあるベトナムの街である。これが国境を超えたとたんにこうなる。ベトナムとカンボジアの国境はいつもこうだ。この国境で4ヶ所めだが、人の生態が違うというよりも気候まで変わってしまったように思える。毎回不思議で仕方がない。

カンボジア東部のベトナム国境近辺は、広々として遮るものがなく、民間人が少ない。戦車やナパーム弾で戦うのにおあつらえ向きの場所だと思うのだが、ベトナム戦争当時は北ベトナム軍の秘密基地(そういうのは秘密と言わないと思うのだが・・・)があった。米軍は国境のこっち側には手を出さなかった。出したことは出したのだけど、いかにも後手後手であった。なんとかならなかったのだろうか、あれは。

インドシナの典型的な田舎町(2年ぶり2回め)

14時に国境を出て、15時にSnuolに到着。今日はここで泊まる。本当はLộc Nìnhに泊まるつもりだったが、テトで街の中が閑散としていて、泊まれるかどうか怪しかった。泊まれたとしてもご飯とビールにありつけなさそう。だからむりしてSnuolまで出張ってきた。疲れた。

Snuolはラテライトで赤茶けた街。インドシナの田舎町という感じだ。実はこの街は2年前のテトの旅行でも来た。その時はバスで来た。その時も同じことを思った。この街に2回も来て2回も泊まるとは思わなかった。米軍が重い腰を上げてカンボジアに侵攻したときの激戦区になったそうだが、交通の要衝というのはなるべくしてなるものではある。

7号線と74号線のロータリーから74号線を西に200mほど入ったところにあるSnuol Guesthouseに宿泊。エアコンなし一泊3万リエル(約7.5ドル)だった。WiFiありで概ね快適。ただ、わざわざSnuolに行きたい人がいるかどうかは知らない。

 

 

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