身体在獄中 精神在獄外
近所の本屋で本を買った。
ベトナム語の本を読むほどの力量はない。
せめて漢字なら読める気がしたが、漢字が記載されている本はホーチミンの獄中漢詩だった。
だから、しゃあないから、買って読んでみる。
原文
身体在獄中
精神在獄外
欲為大事業
精神更要大
和訳
身体は獄中に在り
精神は獄外に在り
大いなる事業を為さんと欲す
精神は更に大いなるを要す
越訳
Thân thể tại ngục trung,
Tinh thần tại ngục ngoại.
Dục thành đại sự nghiệp,
Tinh thần cánh yếu đại.
冒頭にあるグエン・アイ・クォックさんのストレートすぎる代表詩。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
「君がため尽くす心は水の泡 消えにし後は澄み渡る空」
ぐらいになんだかなって出来の句である。
前者は吉田松陰で後者は岡田以蔵。こういう万葉風()のストレート()なものが好きな人もいるのかもしれないけど、わたしはしょぼいと思う。
うーん、まあ、ホーおじさんも、もはや誰もベトナム人はこれが読めないから、これでいいのかも。
だけど、北のマオおじさんはこのあたりうるさいと思うよ。
ホーおじさんが歌詠みとしてどれだけ下手くそでも彼の為した功績になんの瑕疵も生じないとは言え、北のおじさんはそっちもイケてるからなあ。
だって、北のマオおじさんの詩はこれよ。話にならん。
北国風光 (北国の風光)
千里氷封 (千里 氷 とざし)
萬里雪飄 (万里 雪 ひるがえる)
望長城内外 (長城の内外をのぞめば)
惟餘莽莽 (ただ ぼうぼうたるを余すのみ)
大河上下 (大河の上下)
頓失滔滔 (とみに とうとうたるを失う)
山舞銀蛇 (山には銀蛇舞い)
原馳蝋象 (原には ろうぞうはせ)
欲與天公試比高 (天公と高さをくらぶるを試みんと欲す)
須晴日 (晴れし日をまち)
香紅装素裏 (紅のよそおいと、しろきころもをみれば)
分外妖嬈 (ぶんがいに ようじょうなるらん)
江山如此多嬌 (江山 かくのごとく多嬌なれば)
引無数英雄競折腰 (無数の英雄をいざないて、きそいて腰を折らしめき)
惜秦皇漢武 (惜しむらくは秦皇 漢武)
略輸文采 (すこしく文采におとり)
唐宗宋祖 (唐宗 宋祖)
稍遜風騒 (やや ふうそうにゆずる)
一代天驕 (一代のてんきょう)
成吉思汗 (ジンギスカンは)
只識彎弓射大雕 (ただ弓をひき、大鷲を射るを識るのみ)
倶往矣 (ともにゆけり)
數風流人物 (風流の人物を数えんとならば)
還看今朝 (なお今朝をみよ)
あと、この越訳を読んで今のベトナム人は理解できるのかいね。