腕時計大国ベトナム
腕時計を修理しました。20kđ、約100円でした。
雨の中をあれこれしてたら、ムーブメントの中に水が入って、湿気がこもって日当たりの良いときに曇るようになって。
ちゃんと直りました。
高い腕時計でドヤ顔するのはどうかと思うし、そんなこと言うのはお前がブランド品を身につけることができない故のすっぱいぶどうというのは、はいはい、と。
だから携帯電話が普及した20年ぐらい前に、腕時計なんか誰もしなくなって、やれやれこの世は少しマシになったと思ってたけど、いつの間にかそれをスマホのブランドでするようになって、一部分は50万円だの100万円だのの腕時計に吹き上がってしまってしまってた。
この世がマシになったというのは誤解だったな。
そんな中ベトナムに来て、その年齢で腕時計をしてないのは変だと言われた。
そういうものかと50ドルぐらいのセイコーをしてみたら、これがしっくりくる。いざしてみると腕時計というのは便利なもとのである。下着みたいなもので、無くても困らない局面でもないと心細くなる。
日常的に使うとなると、壊れもする。浸水もする。
「時計屋さん」って、いつのまにかみなくなったが、ここにはある。
おっちゃんが直してくれた。
50万円や100万円の時計がなぜ嫌いだったか分かる気がする。これは全体としてシステムであって、そのシステムのパトロンは尊敬されて然るべきだろう。尊敬されたいから機能以上の金も払う。それはこの世のマシな姿だ。
そのシステムを… たぶん別の言葉では経済を… タダ乗りすればフリーライダーだ。それは百金を積んでも尊敬はされるまい。
そう思っておっちゃんに100円払って、息子が経営している携帯電話屋で300kđのmobifoneのトップアップを買った。
それはそれこれはこれなのさ。